2009年 11月 05日
より深い表現へ・・・ |
・・・・『またラーメンかよ』と、言わないでいただきたい。
まあ通常なら、
つけ麺(中)@つしま 浅草
750円
いさぎよいほどの ”魚介系” 醤油、いつもは限定の ”ばり煮干ラーメン” だがさすがに夕方には売り切れ。仕方ないので初めてつけ麺を・・・・・。
その爽やかな後味、誤解を恐れず言えば 「食べてる時よりも食後の方が楽しめる」 究極の ”後味ゲップ系”(ナンノコッチャ?!)か・・・・。
こんな感じの感想文を書くところだろうが、今日の本題はここから。
このラーメンを食べてて思った事・・・・・。
一見なんてこと無い普通の煮干味スープだけど、きっと何度も何度もアクを取って透明度を高めたのだろうな、とか しょっぱいんだけど仄かな甘みがちゃんと残っているなあ、とか。
また唐突かもしれないが ”吟醸酒”。
独特の ”果実臭” に近い風味をつくりだすのに酒米を半分以上も削り取る・・・・、一見無駄に思えるような ”手間” を重ねないと出てこない効果・・・・・・僕はこうした ”非常に判り難い作業” に強く憧れる。
味覚はもちろんの事、聴覚や視覚さらに触覚等、我々の様々な感覚は実は機械で簡単に測定できるような生易しい物ではない。
味の濃淡、音の大小、色の明暗・・・・色々なファクターが簡単な二項対立で決められるわけは無く、実はその中間に存在する無数の座標をどこまで抽出できるか?に僕はこだわりたい。
もうかれこれ30年近くも音楽でメシ食ってるのだからそろそろ言わせていただく。
『もう音が大きい小さい、とかテンポが早い遅い、とか楽譜を正確にとか・・・そんな事はドウデモイイのだ』 と。
音と音の間にある物(文章でいうなら”行間”)をどこまで自覚的に表現可能か?
具体的には
”気配” とか ”凄み” とか ”圧倒的な過剰さ” とか・・・・、
僕はこうした事項をパーカーやサッチモ、そしてレディディらのレコードで聴き取ることができる、・・・できるということは自分もいつかは表現可能、という事だ。
ではこうした ”一歩二歩踏み込んだ” 表現はどうすれば可能なのか?
普通の日常的練習は当然として、それプラスα(アルファ)があるのではないのか?
ここで話は先ほどのラーメン(スープ)に戻る。
単純な鳥ガラとか豚骨を炊いていく過程でひたすらアク取りをし何度も漉してどんどん ”純度” を上げていく
手法、さらに寸胴にはあらゆる食材を放り込んで複雑な ”隠し味” を用意する。
これを音楽表現に強引に置き換えるなら、
とにかくあらゆる時代の音楽(ジャズに限らず、だ)を大量にかつ主観を排して聴く。
これに尽きる。(読書でいうところの乱読)
これら膨大な量の input が自分というフィルターを通過して多分百分の一/千分の一の output となって抽出される、こうした ”上澄み” のようなものを僕は信じたい。
もうひとつ、
A・アイラーに見られた ”ニューオリンズジャズへの先祖がえり” 現象。
僕はこうした説明不能の ”隔世遺伝"的な物にも大いに興味がある、
食材を一定期間 "寝かせて” 味を良くする作業とどこか似てはいないか?
なんか話がどんどん収拾不能になっていくな・・・・・
そして食い物の例えばっかりでスミマセン。
追伸:冒頭のメンラーですが、やはりつけ麺はオススメしかねます。
by slapper1107
| 2009-11-05 01:49
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