2010年 01月 30日
名店の系譜 |
昔、水道橋は駅の直ぐ傍にSWINGというジャズ喫茶があった。
トラッドジャズファンで此処を知らなければ ”もぐり” 呼ばわりされた程の老舗である。
僕は学生の頃
かろうじてこのトラッドの牙城の ”端っこ” に
なんとかしがみついていた。
今思えば
”ぎりぎり間に合った” という気持ちで一杯だ。
あれは早稲田ニューオリ一年生の夏休みだったか、
上級生に引っ張られて、という ”お決まり” のパターンで恐る恐る初めてドアを開けた。
(すぐそばを流れる神田川のムッとした感じ(湿気)が未だ見ぬミシシッピー川を妄想させた)
マスターは柔和そうな方だったが ”ママさん?” が怖そうだった・・・・・
まあこんな店の雰囲気にも直ぐに慣れたのだが、いかんせん当時はトラッドの知識なんかゼロに近く
こんなレコードばかり
リクエストしていた気が・・・・
とにかくいい客ではなかった筈だ。
ただ上級生も似たようなものだったし、
時折あったブラインド大会なんぞもってのほか、であった。
恥ずかしい思い出をひとつ。
これから一年経って、僕も二年生・・・・生意気盛りだった。
ニューオリとは別に理工学部のテナーの奴とリハバンをでっち上げていて、とにかくどっかでライブをやりたくてやりたくてウズウズしていたそんな時、
何をどう間違ったのかこのSWINGで演奏する羽目に・・・・・・。
多分当時のハウスバンドといってもよい ラグピッカーズ の ”前座” として30分位しか演った記憶は無いのだが。
・・・・この僕らのバンドは理科大のもう一人のテナー、法政のドラムそしてニューオリからもうひとり、二年上の美人ピアニスト(憧れだった←コラッ)T沢さん・・・という布陣・・・・・これでAl&Zootよろしく格好つけてカンサススタイルかなんかだったものだからたまったものではない。
怖くて有名だったピッカーズバンマスのK田さん(ds)にこってりお灸をすえられて尻尾を巻いて退散、確か僕はその後ふた月程敷居が高くて店に行けなかった憶えがある。
(この時脇でギターのH向さんがニヤニヤしていたのだが最近お伺いしても覚えてないと仰る、大汗)
こんな水道橋のお店もやがて閉店、その後1985年には飯田橋に移転してもう何年か営業することになる。
もうプロとして仕事していた僕は一転 ”優秀なお客” としてよく寄らせて頂いた。
そして約20年・・・・・・
今度は目黒の地でこの名店の系譜は継承される。
Jay-J's Cafe
SWINGの柴田マスターのご子息が
新たにライブハウスを・・・・
形態こそ異なれど
根底に流れる ”ジャズ魂” は不変
僕も有難いことに時折出演させていただいている。
飯田橋以来の
アルテックの ”銀箱”
この頃(70年代末)だと
ユニットは 604E あたりになるのかなぁ?
残念ながら片チャンネルの高音部がトンでいるようだ
『でも古いジャズだったらこれで丁度良いかな』
柴田マスターは笑う
落ち着いた店内
昨夜も気持ちよく演奏できた。
・・・・さて、ここでもう一度時間を30年戻そう。
先程述べたカンサススタイルのバンドとは別に、僕は今でも続いている ”ナッチェス” バンドの設立にも関わっていた。(この時もピアノはT沢さん!!)
当時キャナルストリートバンドから袂を分かったT部さんがベースを弾いていたが怪我の為僕にお鉢が回ってきて・・・・・
このバンド(ナッチェズ)で当時御茶ノ水の日仏会館で開催されていた ”SWING開店○○周年コンサート” に出させてもいただいていたのだった。
そして去年 後藤~白石2クラバンドのCDをこちらJay-J'sで録音したのだが、ジャケット写真を撮ってくれたのが
有名カメラマンでもある、このT部氏だったのだ。
なんという ”因縁” だろうか・・・・。
僕はつくづくSWING、そしてJay-J's Cafeとの不思議なご縁を意識せざるを得ないのである。
by slapper1107
| 2010-01-30 03:36
| JAZZ喫茶