2010年 04月 25日
時代考証の是非 |
我々はジャズという、ある意味既に“伝統的な”音楽を演奏している。
“ジャズは死んだか?”という問いかけも60年代末の相倉久人氏以来もう何度もされて来た。(僕個人としては 死んでない と思うがこの話はまた別の機会にでも…)
大体、modern jazz と言われているハードバップからアバンギャルドにかけての演奏ですらもう半世紀以上も前の物なのである。
少し専門的な事を言えば、“ジャズの語法”というのは時代と共に変化してきている。だから厳密には演奏するにあたってはある程度の時代考証を必要とする。
同じ ♪スターダスト を演ってもL・ハンプトンとコルトレーンは別物。
ただジャズの場合はある程度のミスマッチはかえって新鮮だったり面白かったりもするのでそのへんはルーズでも良いのではないか?
TV時代劇、例えば“水戸黄門”なんかで平気で現代口語体を使っている、あの感じと言えば分かりやすいか。
ただ僕らが研究している 文字通り(狭義の)トラディショナルジャズになるとそうはいかない…
歌舞伎やお能を現代語でやるような事になるからだ。
そして、当たり前の事だが、ルイ・アームストロングを再現しようという時ホットファイブ期と戦後オールスターズ期の区別は明確にされてなければならない。
さらにもっと理想的にはバンドの各員全てがこの歴史認識に対して “共通な引き出し”を持っていなくてはならず、そこまでやって初めて満足いく演奏になると僕は考えている。
そんな大袈裟な、と思うでしょ?
でも海外に行くとこれが当たり前。
さらには聴衆もこのレベルで演奏者に接してくる。
恐ろしくもあり、楽しくもあり、だ。
by slapper1107
| 2010-04-25 08:04
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