2011年 02月 08日
音の“奥行き” |
・・・・・と単に言っても、『ニュアンスに富んだ』とか『メタファーに充ちた』という様な抽象的な意味から 『残響成分が多い』『奥の方に音像が定位する』……みたいな直接的技術(録音の)用語まで幅広い。
ここでは単純に、エコーとかリヴァーブといった音響上の効果としての “奥行き感” について述べてみたい。
お風呂場で歌うと上手く聞こえたり、カラオケでもガンガンエコーを効かせたり・・・と、
普通、“素の声” に残響を足してやるとクオリティーがぐんとupした様に感じる。
これを気のせいとか勘違いと断じてしまえば元も子も無いが、確かに昔から“業界”でも当たり前に使われてきた。
一例を挙げれば
“Wall of sounds” と称されたフィル・スペクターの楽音処理やルディヴァン・ゲルダーが施した過剰とも言えるリヴァーブ(特にBlue Noteレーベルで顕著)。
これらはいずれも電気的に “後付けで” 加えられた残響なのだが、あの悪名高き 擬似ステレオ盤とともに何故か僕の琴線に引っかかる物も無きにしもあらず・・・・。
つまりこれらのギミック込みでのスペクターサウンドでありブルーノートサウンドなのであろう。(必要悪、と言っても良い)
さて、これはアメリカンミュージックのキッドショッツ盤、と来ればクラはジョージ・ルイスで好事家の皆さんならあのサウンドが聴こえてくるはずだ。
そう、
ここで聴けるのはワンワンいう位のタップリとした残響。
ただ先の人工的なエコーとは違い “天然の” とでも言うべき、教会という収録場所のルームアコースティックを最大限に活かした録音なのである。
ジョージ・ルイスに限らずAMを中心としたこの頃(1940年代)のニューオリンズリバイバル物にはこうした残響タップリなレコードが多い。
もちろんこうした現象はプロデューサーが音響的に狙ったわけでも何でも無く、碌なレコーディングスタジオも無かった当時適度な広さがあった教会は格好の録音会場だったのだろう。
高い天井、そして石造りの建物は結果として過大な残響成分を産み出す。
しかしそれは彼等リバイバル派の黒人奏者達が好んで取り上げていた二グロスピリチュアルや讃美歌といったレパートリーに何とも言えない作用というか、一種独得な雰囲気を付加したのである。
(僕は讃美歌を演奏するからわざわざ教会で録ったのでは無く、そここそが日常的な演奏の場であったから………と考えているが如何であろうか?)
来たる2/11、我らDelta4は麴町番町教会で演奏します。
残響成分は少なめwです。
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by slapper1107
| 2011-02-08 00:43
| オーディオ